コロナ禍の経済について

僭越ながら考えていることを書かせていただきます。私は経済を、「価値の循環」を研究する学問であると考えています。価値というのは、お金やヒト、資源などこの世の中の全てのものが持つ、他の何かを生み出せる、また他の何かと交換できる能力です。例えば、お金を払えばご飯を食べれたり、洋服を変えたりしますよね。お金がご飯や洋服と交換されたのです。またヒトは、モノを運んだり、研究して新しいことを発見したりと、価値を循環させたり生み出したりすることができます。また、広く見てみると人だけが価値を循環させているわけではありません。自然も同様です。例えばミツバチがいなければ花は受粉せず、次の子孫を残すことができません。ミツバチは受粉させる代わりに蜜をもらいます。このように様々な価値の循環は常に起きているわけです。このような前提のもと現在のコロナ禍の経済を考えてみます。コロナという疫病は、ヒトの往来を完全にストップさせましたね。ヒトという価値の循環を完全に無くしたのです。それによって飲食業や旅行業など、人の移動や交流を主体とする職で働く人々はとても苦しんでいます。一方で、マスクやその他医療品を扱う医療産業、またYoutubeNetflixなどの動画産業などは、これまでよりも多く必要とされてより多くお金を稼ぎました。これを経済では重要と供給と言います。より多くの人が必要とするもの、また数の少ないものは必然的に値段が高くなります。これまで価値が集まっていたものから価値が出ていき、他のものにその価値が集まっています。なのでコロナ禍前の経済とコロナ禍後の経済を比べてみると全体としての価値の量は変わっていないのです。ではそれでいいのかというと、そうではないと思います。そこには経済の健康な均衡点という概念があると思います。均衡点とは「てこ」でいう支点で、全体のバランスの中心部分ですが、この世界はなんでもバランスがあって、そのバランスを崩すとよくない場合が多いのです。実際、現在の世界全体の不況はそのバランスがよくないことから起きています。普通に考えてマスクが30枚で5000円というのはおかしいですよね。おかしいと感じるということは、つまり不健康なバランスなのです。これではお金のある人にだけ必要なものが届き、お金のない人はただ苦しむだけになってしまう。経済学の概念で、誰の効用も犠牲にせずに少なくとも1人の効用を高めることができる変化をパレート改善といいますが、今回のコロナ禍の経済は多くの人を犠牲にしなければ一般の人々の効用は上がらない状態であり不健康であります。ウイルスという人間が作るルールに縛られない自由奔放なものに対して人類がお金と労力をかけてもその見返りに価値が循環してそれと同じ量の価値は戻ってこないからです。そこがウイルスの厄介なところです。

 

まとまりのない文章となってしまいましたが、今の特殊な経済について考えていることをまとめると、全体のバランスが崩れ、新しい均衡点が生まれる時であり、つまり世界が大きく変化している時です。コロナによってリモートワークが増えたり、旅行に行かずにキャンプやハイキングにでかけるなど人の行動やこれまでの慣習が変化しています。それによって価値の循環の仕方も変わり、また価値そのものが変わります。今の経済は、経済の根本である価値が変化している状態であり、これまで価値があったものに価値がなくなり、これまで価値がなく注目されていなかったものに価値が生じる、ある意味時代の転換点だと思います。そして健康なバランスに戻れるように、今はただ目の前のことに集中して踏ん張るしかないと思います。